日本人は特にメディアの情報操作に弱い人種です。
小さい頃から学校やテレビやラジオで聞いた他人の情報を鵜呑みにしてしまい自分の信念を持てないという人が多いです。
特に最近ではネットの普及であらゆる情報がいたるところから舞い込んできます。
情報社会は情報が拡散されるのが早いというメリットもありますが、その分のデメリットもあります。
自分の持つ信念よりも他人の情報を優先して脳に刻み込ませるというのが情報社会の大きな問題点でデメリットです。
コロナによってその問題点が表面化されてきたと言えます。
全世界でコロナが流行っているという他人の情報だけを鵜呑みにして混乱しパニックに陥っている人が多いのではないでしょうか?
このパニックは特に日本人に多いです。
外国人はもっとあっさりしていて、コロナと向き合って生きようと考える人も少なくありません。
日本人は近くでコロナが出たというだけでパニックになり、精神的に病んだり攻撃的になる人がいます。
しかし、コロナ情報を聞いた時点で実際にあなた視覚の中でコロナが起こっていますか?
普通に出かけることもできているし、実生活は以前と変わってないという人がほとんどのはずです。
それなのにメディアの情報によって簡単にパニックになる人が多いんです。
もしその情報を見ていなければパニックになることはないですよね?
私なんて毎日庭を見て平和だなぁ~と思っています。
実際のところコロナなんて知らなければ恐れる事なんてないんですよね?
それなのに支配層の操作する情報を無駄に信じ込んでしまい混乱を起こします。
そして政府や支配層の作ったレールの上を流されるように進んで行くというのが情報操作というものです。
これは情報発信のツールができた頃からずっと行われてきた歴史でもあります。
第二次大戦中に日本軍が危機的状況でもラジオや新聞では嘘の情報を発信して国民を信じ込ませていたという事は現代ではほとんどの人が知っている歴史です。
それが今でも行われているという事を認識しておかないと永久に支配層の操り人形にされてしまいます。
だからと言ってコロナが怖くないと言っているわけではありません。
私もコロナにはかかりたくはありません。
ただ伝えておきたいのは他人の情報で自分の感情を失うのが生きて行くうえでコロナよりもよっぽど危険なことだとお伝えしたいだけです。
他人の情報だけでパニックになって病んでしまうというのが情報社会の現代ならではの大きな問題点であり課題でもあります。
他人の情報にやられてしまうというのはつまり自分軸が確立していないという事です。
自分軸がしっかりしていて信念をしっかり持っている人であれば、他人の情報で心を取り乱すことは無くなります。
情報に流されて混乱を起こすのはコロナの状況だけではありません。
心配なことがあるとネットで検索することが増えてきたと思います。
最初に出てきた情報がネガティブなモノだと、それが一番感情的に残りやすかったりします。
何故か人間と言うのは最初に入ってきた情報を一番信じてしまうという難点があります。それを消去して新しい情報に書き換えるというのが意外と難しい事なんですよね。
そしてその嘘の情報に流されてしまうとアウトです。
心配が更に心配を引き寄せます。
しかし自分軸がしっかりしていてセルフイメージの高い人であれば、他人の情報を見ても感情の軸がブレずに平常心を保てます。
他人の情報は他人のモノ。
自分の状況は自分が作り出す。
てな感じで、他人は他人、自分は自分だと割り切って考えることができます。
だからネットやテレビがなんて言おうが自分の信念は変わらないという自分軸をしっかり持って生きないとこれからの情報社会の中で生きるのが大変になってきます。
病気だけではなく人間関係や仕事や恋愛など全ての分野において自分軸は重要です。
他人の情報が入ってきたら、真に受けずに一度聞き流せる精神を持つといいです。
心配な情報が入ってきたら、次のような言葉を唱えるとエネルギーがプラスに働きます。
波動を上げる開運ワード
・なぜか私はうまくいく(期待が生まれる)
・他人は他人
・私には関係ない
・最高(最高じゃない場合にもかなり効果的)
・それで?
嫌な感じの情報が入ってきたらこれらの言葉を使うとかなり回避できる神言葉です。
潜在意識的にも本来マイナスになりそうな情報でも反射や回避をして逆にプラスのエネルギーに変えることができます。
それで?とかは自分軸がしっかりしてる人は本当によく使っています。
ぜひ使ってみて下さい。
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